学生時代は10年陸上部に所属していました、むねさだ(@mu_ne3)です。
当時はトレーニングもかなりハードにしてましたし、肉離れやねんざなどの怪我も何度か体験しました。
あれから15年…。
一時は現役時代よりも10kg以上増えてしまいましたが、昨年実行したダイエットにより無事大学生の頃の体重に戻っています。
(ただし筋肉が無い分、まだまだ脂肪は多いと思います…)
そんな私が、めっちゃ気になるイベントを見つけたんですよっ!
分かります?
走る哲学者と言われる為末さんと、最近書籍を出された医療ライターの朽木さんの対談ですよ!?
もう見つけた瞬間申し込んじゃいましたよね。
という事でもう開場とともに駆け込むように参加してきましたのでご紹介したいと思います!
開始前から集まる人々っ!
会場は渋谷にある「ヒカリエ」の34階。
100人の定員がほぼ埋まっており開始前から期待感や熱気が伝わってきます。
まずは、登壇者のお二人を軽くご紹介しておきましょう。
まずは、為末 大(ためすえ だい)さん。
◆朽木 誠一郎(くちき せいいちろう)さんのプロフィールはこちら。
個人的に、広島出身で陸上競技(400mや走高跳など)をしていた私は、高校の地区大会から為末さんと一緒(学年は私が1つ下)。
高校当時から為末さんは(他校ながら)憧れの存在でした。
もう…。為末さんと言えば、地元広島では神のような存在ですからね(いや、そもそも日本の宝ですけど)。
そんな為末さんを間近で見るのは20年ぶりくらい。興奮でテンションが上がりまくります。
朽木さんとは、ライター・ブロガーつながりで、同じ陸上競技をして来た仲間として、数年前から仲良くしてもらってます。
最近また砲丸投げにガチで力を入れ始めているので刺激をもらっているところです。
走る哲学者と呼ばれる為末さんと、医学部医学科を卒業しながらもライターをしている朽木さんの対談ということでもう、ワクワクが止まりませんっ!
それでは当日の様子をお伝えしていきます。
開催のきっかけは?
そもそも、今回の開催のきっかけは為末さんからのアプローチ。
朽木さんの本を読んで面白すぎて対談します
為末大さん対談【怪しいトレーニング法、食い物にされる健康】医療記者・朽木誠一郎さんと徹底討論 https://t.co/iZIUye0Tcc via @PeatixJP— 爲末大 Dai Tamesue (@daijapan) May 23, 2018
朽木さんの本を読み、「これについてもっと議論したい!」と思い、イベント開催を打診したのだとか。
朽木さんの本、とは2018年3月に発売された「健康を食い物にするメディアたち ネット時代の医療情報との付き合い方」です。
健康を食い物にするメディアたち ネット時代の医療情報との付き合い方 (BuzzFeed Japan Book)
サラリと本の紹介をしつつ、すぐに議論に突入します。
我々は何かを信じて良いの?信じちゃダメなの?
まずは為末さんから朽木さんに質問を投げかけます。
本の中に、「弱いところがある人間がどのように医療と向き合えば良いのか」という内容があったが、一方で社会的には何か1つのことを信じ切った人が成功している例もあるし、我々は信じて良いのか、信じちゃダメなのか。信じるなら誰を信じるべき?どうすべきなんだろう?という、かなり核心を突く質問から。
それに対して朽木さんは、「そこに答えがあるなら、そもそも誰も騙されない…。」としながら、「どこまで信じれば良い?疑えば良い?」という判断のラインの1つとして、「命にかかわるかどうか」を軸に考えるようにしている、と。
命に関わるか、で情報の悪質さ・深刻さが違う
例えば「健康食品」ってありますよね。
健康食品は定義上、「病気を治す効果はない」んです。無いはずなんです。
(効果があれば医薬品なので)
なので、健康な状態からより健康になる為に使いましょう!という状態と、ガンという病気の人に「ガンが治るかの様な雰囲気」を匂わせて健康食品を買わせる状態は、悪質さ・深刻さが違うよね、と。
命に関わるかどうか。で判断することが大切だと思っている、と。
信じることで競技結果が変わる?
この流れで、そのまま朽木さんから為末さんへ。
「健康になると言う以上の話、例えばトップアスリートになる為には、信じきることも必要なんじゃないか?信じることで競技結果が上がったりするものなのか?」と言う質問。
これに対して為末さんは、価値観を疑うことはしんどいことであり、人間は根本的には「何かを決めてほしいんじゃないかと思う」、と。
「これが正しいと思い込むことは、人間にとっては幸せで力の源にもなり得るし、(そのことによって身を滅ぼす状態でなければ)良いこと。ただし、信じて突き進む、盲信すると言う状態は、ブレーキのないアクセルの様なものなので、間違った方向に進めば崖から落ちることもあるよね…」と。
なので、たまたま方向性が合い(そのトレーニング方法が合い)、金メダルを取った人が「このやり方が良いよ」と言う。これが今のスポーツ界でおきてしまっているんです。
為末さんの名言の1つにこんな言葉があります。
夢は叶わないかもしれない。叶える為の努力は無駄に終わるかもしれない。
でも何かに向かっていたその日々を、君は確かに輝いて生きていたのではないか。
それが報酬だと思わないか。
為末 大
なので、信じてその方向に進むことは間違いではない。間違いではないが、「人が言った方法を試したのに失敗した!」と人のせいにするのは間違いなんですよ。
だって、それを信じて実行するかどうかは選べたわけなので。
そう言う意味で、アスリートにとって信じて進むかどうかは、命まで落とすことはないが、「かけがいのない競技人生を失う」ことにはなり得るわけです。
では、今アスリートは何を信じるべきなのか、どこまで自分で考えるのか。と言う方向に話は進んでいきます。
「これまでの指導方法」と「選手としての直感」のバランス
ここで為末さんは先ほどの、「かけがいのない競技人生を失う」例として、昔スポーツ指導の現場で行われていた「水飲むな」という指導と「体罰」を事例に挙げられました。
一人のオリンピック選手を生み出すか、全員をそこそこ育てるか
「水飲むな」と「体罰」の指導。昔は、これで成功した事例があったため、行われてきた指導法なんですよね。
今考えると「スポーツ中に水飲まないなんて危険じゃないか!」と思うし、「体罰」なんてのももってのほか。
なのに、どうしてこういうことになっていたかというと、「これまでスポーツの中で優れた指導者・歴史に名を残す指導者と呼ばれる人は、その指導方法で1万分の1でも金メダリストを生み出せば良かった」からです。
ただし最近は、1万人のうち1人の金メダリストを生むと同時に9999人の幸福度をどのくらい下げたか、を同時に考え始めてきていて、全員をそこそこ幸せにする指導とオリンピック選手を育てる指導は別物だよね、となってきている。
試合前のストレッチの効果について
また、もう1つ例として為末さんが話をしたのが、「試合前にストレッチを嫌がっていた」とある選手について。
当然、「(これまでの常識として)ストレッチしないと怪我するぞ!」と、トレーナーと言われるわけです。
けど、自分の感覚としてストレッチをするとパフォーマンスが下がる気がする選手にとってはモヤモヤするわけで…。
そんな中、最近「ストレッチするとパフォーマンスが落ちる」という論文が出たんです。
当然、怪我予防にはストレッチは重要だけれども、試合に関して言えば筋肉=ゴムのようなものなので、それを伸ばしてしまうと、瞬発力は落ちて試合で良いタイムがでなくなる、という内容の論文。
(まだどちらが良いのかの結論は出てない)
スポーツの世界ではこれ良くあることで、「感覚的にはこちらなんだけど、まだ正しいデータが取れていない」場合、それが合っているのか間違っているのかはわからないんです。
「練習中に水を飲まない方が集中できるかも」と感覚的に思ったけど、大間違いだった、と言うこともあるわけですし。
そうなると、そのわからない不安を埋めようとしたり何かにすがりたくなったりんですよね。
医療記者 朽木さんの医療情報に対する判断基準
ここで司会者が少し話題を変えて、朽木さんに質問をしていきます。
医療記者としての朽木さん。間違った情報を伝えたり広めたりするわけにはいかないが、「これは伝える・伝えない」の線引きはどの様にしているのか?と。
これに対して朽木さんは、「もちろん、専門家として間違った情報を伝えるわけにはいかないので、医療的に正しいと思われる内容をしっかりと調べてから掲載するようにしています。」と。
そんな、医療情報に対して情報の真偽をザッとスクリーニングかける方法として、以下の3つをチェックする様にしているそうです。
1.NGワードに注意
まずは1つ目は、NGワード。
例えば、ダイエットにおいて、「すぐに」「楽に」「簡単に」「最新」「究極」と付いている宣伝は、怪しいと思った方が良い。
もちろん、疑ったほうが良いというだけで、これらのキーワードが入っているからと言って、全てが間違った情報というわけではありません。
世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事
例えば、この「世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事」と言う本は、朽木さんの信頼できる先生が書かれた本。正しい情報を広める為に、あえてそう言う言葉を使って広めようとしているんです。
そう言う意味でも、6W2Hのように「誰が」「いつ」「誰のために」言っているのか、はとても大切な情報として意識しているそうです。
2.エビデンス(科学的信頼度)のピラミッドを意識
エビデンス(科学的信頼度)のピラミッドを意識するようにしている。
試験管やマウスの実験で成功したとしても、それが人に効果があるかは別なので、即信じない様にしているそうです。
3.因果関係があるのか
3つ目として、本当にそこに因果関係があるかどうか。
「AだからBである」と書かれているものをそのまま信じず、「Aの場合はCで、CによってBである」かもしれないので、そこの因果関係はしっかりと調べる。
よく言われるのが、「メタボ診断をするようになって人が長生きになった」ではなくて、「メタボ健診を受けに来るような意識の高い人だから、長生きできている」んじゃないか?、という問題。
この2つは、因果関係は全然違うわけです。
ザッとこの3つをチェックするようにして、総合的な信頼度を考えるように提唱しているんですって。
コーチをつけないで一人でやってた為末さん
次に、司会者から「為末さんは、自称”騙されやすい”そうですが、競技人生を振り返ってこうしておけばよかったな、という事はありますか?」という質問が。
これに対して、「自負を持ってコーチをつけずに一人でいろいろ頑張っていたが、今振り返れば”誰かが研究したもの”をもっといろいろパクれば良かったな(苦笑)」と。
スポーツ選手って、結局は現役選手でいられる時間はとても限られていて、賞味10年程度。そういう意味で、全て自分で検証する必要が無かったんじゃないか…と振り返られていました。
ハンマー投げのアテネオリンピック金メダリストの室伏広治さんが初めてお父さんの記録を抜いた際、お父さんの室伏重信さんが「ここまで高速道路だったのでこれからですよ。」と言われていたのが印象的だったそうです。
これ、凄い言葉ですよね…。
日本一の父親が日本一の息子を育てたからこそ言える言葉ですよね。
メディアというフィルターを通すと事実に見えるのが怖い
次は、為末さんから朽木さんへ質問。
「朽木さんは、競技者の世界にもいて、医療の世界にもいて、メディアの世界にもいた人。順番的にどれが疑ってかかる世界なんでしょう?」と。
これに対し朽木さんは、「広く捉えた際に、今はSNSがあるので、誰でも発信できるという意味では”一番疑うべきはメディア“だ」と。
ただしこれは、大手のメディアや媒体を疑うという意味ではなく、誰でも発信できるので「気軽につぶやいたことが事実に見えてしまう」ことへの懸念から。
友人同士で口頭だと、「昨日これを食べたから今日は体の調子が良い」と気軽に実体験を口にできるのに、これがTwitterでつぶやくと10万リツイートされたりする可能性があるわけです。
そしてそれが「事実のように」に見えてしまうのが怖いわけです。これらの流れもあり、今回の本を書くきっかけにもなった、と。
誰が言っている?」「誰が答えを知っている?」を意識する
また、メディアに「医師監修」と書かれていても、その監修しているのは「どこのどんな専門家のお医者さんなのか」まで調べることが大切になってきているんです。
医療に関して専門家の意見として医師に取材をする際も、その先生が「学会の中でどのような評価をされているのか」「どんな論文を書いているのか」まで意識するようにしているそうです。
確かに、整形外科の先生に耳鼻科の専門的な話を質問しても答えられないかもしれないですもんね。
トレーニングの専門家はだれ?
これ、同じように「トレーニングに関して、誰が専門家なのかがわからない。」と朽木さん。
例えば、筋トレをしてからジョギングをするのが良いのか、ジョギングをしてから筋トレをするのが良いのかは、よく競技者の間で話題になるテーマ。
以前、トレーニングに関する記事を書こうと思ったそうですが、「事例の母数も少なくて、どの情報を信じれば良いのかわからなかった。そもそも専門家って誰なんだろう?」となって筆が進まなかったそうです。
これに対して、為末さんは「ウサインボルトが初めてオリンピックに出てきたのは、北京五輪。その時、レースの始まる2時間前にチキンナゲットとコーラ片手に歩いてましたからね」、と。
そんな彼が「俺は速い。こうやればいいんだよ」と言える世界がスポーツだ、と。
たった1人の成功例が「これが正しい」というと通用する世界。
エビデンス(証拠・根拠)としては「n=1」でしかないのに、それがとても説得力を持つ世界。
スターがスター過ぎて、否定できない世界なんだそうです。
例えば、100mを9秒台で走れる選手は世界でも100人程度。事例数が絶対的に少ないわけです。
なので、「100mを9秒台で走るための正しいトレーニングとは何か」を画角的に説明しづらいわけです。
ただし、最終的には「正しい」と言われることを積み上げて行くアスリートが強くなる傾向にはあるそうです。
「医療」と「スポーツ」の指導の違い
「医療」と「スポーツ」の指導の違い、についても議論が進みます。
医療に関しては、人は病気になろうと思ってなったわけではなく「病気の人が健康になる」事を目的に指導(治療)がなされます。
スポーツは、「自分で選んでそのスポーツを選び、そのコーチやチームに入っている」事が多く、「目的は全員の底上げなのかトップを育てるのか」の違いがある、と。
この議論も面白かったですね。
医療は自分で選んで病気になっているわけではないので、「全員を救う必要がある」が、トレーニングは、「自分の意思でその競技やコーチを選んでいる」と言いやすいので「スパルタしやすくなる」わけです。
また、例えば「正しいと言われるバッティング方法」というのはあると思うが、それの型にはめていたらイチローさんは生まれなかっただろう、と。
この辺りは、アメリカと日本のスポーツの指導の違いにも顕著に表れているそうです。
「天才は触らない・凡人は型にはめて秀才に」という指導が日本のスポーツ教育。アメリカは「ポイントだけを教える」からバラバラのフォームになりやすく幅の広いプレイヤーが生まれる。
全体的な底上げをする日本と、バラバラながらガチッとハマったらたまに凄い選手が生まれるアメリカ。
「これどちらが正しいかは分からず、またこれが共存する方法がまだ分からない」と為末さん。
トレーニングにおいてエビデンスは成立するのか?
ここで、「結局、トレーニングにおいてエビデンスは成立するのか?」と改めて朽木さんから為末さんに質問。
それに対して、為末さんは「長期的に見たら、自己流の選手が一番上まで行っているか、と言われるとそうではない気がする。」と。
事実、トップアスリートになってくるとコーチを複数人、各専門家を集めてトレーニングしている人が多いそうです。
それらをヘッドコーチが統合しバランスを取ったうえで選手に伝えたり。そういう意味では、エビデンス(科学的根拠)に支えられているトップアスリートは多いんじゃないか、と。
ただし、為末さんは「正しい情報ばかりを与えられ続けたアスリートは、自分の頭で考えられなくなる可能性がある。」と懸念されているそうです。
トップアスリートはプライドと過去に縛られている?
ここで司会者から「トップアスリートだった為末さんは、人に教えてもらうという機会がなかったのでは?」と質問がされます。
為末さんは、確かに当時は、アドバイスを受けても「おぃおぃ俺にハードルのことにいうのか?」という気持ちは無くは無かったな…と。
また今思い返すと、「過去に自分が言った言葉、にも縛られていた」そうで「自分が言った座右の銘に縛られてつぶれる人」がスポーツ界には多いそうです。
それだけ、突き詰めて考えてトレーニングしてたからこそ、だとは思いますが、今思うと「もうちょっと前言撤回をしたり、自由に考えてもよかったかな」と思う、と言われていました。
あと、トップアスリートならなおさら、「プライド」があるわけです。
それゆえ、途中でうすうす気が付いても「今更間違えを認めるくらいなら、その道を進みたいと思ってしまうこともある」のだとか。
そういう意味で「科学的なデータを元に間違いを指摘される」と結構強いし正直キツイ。
なのでこういう時は「自分は間違っていなかった」と思えるように「間違いを認めて正したい」よね、と。
医療においても伝え方が大事
これに関して朽木さんも、「医療にもこの伝え方の問題は大きい」と言います。
医学ってどうしても、ベースに統計や確率の話があるので、(自分ゴトとして)受け入れにくいという問題があるんです。
例えば、「成功率6割の手術」と言われても自分がその6割になるか4割になるかは、やってみないと分からないわけです。
タバコを吸う人にタバコを辞めるようにアドバイスする際も、「たばこはこれだけ体に悪い」というデータをいくら見せても、最終的にその人本人が体を悪くするかどうかは、誰にも分からないわけです。あくまで確率と統計からなので。
それなのに無理に言いすぎると、先ほどのプライドの話ではないが「干渉された感じ」がしてしまい、反発してしまうんですよね。
ここまでの生活やその人が決めて行動してきたことやプライドを無視してコメントしてしまうと、どんなに確からしいことを伝えても、受け入れられにくいわけです。
そういう意味では、医療もスポーツも、「伝え方がとても大事」なんですよね。
じゃ、何を信じたら良いの?
その流れで司会の方から、押し付けられたくない人がいる一方で、もう考えるのが大変だから「言う通りにしますので、何を信じれば良いですか?」という人はどうすれば良いか?と言う質問。
これに対して、為末さんは、以前コーチをつけている友人アスリートに、「コーチをつけずに自分で色々考えたら良いんじゃないか?」とアドバイスした時の話をしてくれました。
彼曰く「練習自体が大変なので、内容くらいはコーチに考えてもらいたい。」と。その時、「なるほどな…」と感じたそうです。
自分が苦手、自分がしなくても良いと感じる部分については、冷静にアウトソーシング(外注)という選択肢ができるのは、ありかもしれないね、と。
為末さんもこの言葉で、コーチについての重要性を再認識したそうです。
間違いに対して全てを指摘し続ける人からは人が離れていく
朽木さんとしては、「繰り返しになるけれど生き死にに関わる部分だけは今、一番確からしい方法を選択すべきで、その他の事は自由にすればいいんじゃないかな?」と。
朽木さんは自戒の意味も込めて、「科学的根拠(エビデンス)が無い事柄に対して「それ根拠無いよ」と行って回る人、嫌ですよね…」と。
朽木さんも、「怪しい医療情報を許さないマン」に思われがちなので、そこは反省しないといけない。
それを繰り返してしまうと、行き着く先は荒野。誰にも信じてもらえなくなる。
ある程度で線引きをして、「この範囲は個人の自由でいいよね」と言う部分を見定めてコミュニケーションできないならあまりそう言うことを言うべきではないんですよね。と。
考えさせることで全員のリテラシーを伸ばせるのか?
また、選択肢を与えて「全員のリテラシーをあげて考えていける世の中を目指す」か、リテラシーが上がらないならば専門家や詳しい人が「これが答えだ」と示すか。という議論も行われました。
これは答えが出ない、医療情報に関わっている人にとっては最大のジレンマだ…。
ただし、リテラシーは上がらないと決めつけてしまうのも良くないので、色々試して行くべきだし、その議論のきっかけの1つとなるように今回の書籍を書いた、と朽木さんは言われていました。
為末さんの影響力の大きさ
次に司会者の方から「為末さんはトップアスリートで、いわゆる影響力があるわけだが、情報を発信する際にどんなことに気をつけているか?」と言う質問がされました。
これに対して為末さんは、「根拠を持って正しく伝えていこうとすると、よりマニアックな内容になり一般の人に伝わらない」。が、同時に「その競技の普及や啓蒙という視点で考えた場合には、広くわかりやすい言葉で伝える必要がある」。
この2つのバランスというか加減をどの辺にすればいいんだろうか、は考えるようにしている。と言われていました。
また、情報を発信する際には、ずるい言い方になるんですが、あえて「僕の人生ではこうでした」「選手村ではこうでした」と書くことで、発言を強くするような言い方を選ぶこともある、と。
ただ、Twitterのフォロワーが増えたりテレビに出てコメンテーターなどをしていると、「自分の発言には社会的責任があるんじゃないか」と感じるようになってきます。
そうなると、「根拠がない話をするのはまずいな」と感じるようになり、「自分が今、なんの顔で発言しているか」を考えるようになってくるわけです。
「アスリートとしての発言」「メディアに出ている人の発言」「個人の発言」、混ぜると色々できそうな気はするが、それはしちゃいけない気がする…。なので、発言する際には「裏(エビデンス)をとるようにしている」と。
専門を背負った人間は発言しづらくなる…!?
ここで、朽木さんが「うーん、これも情報発信者のジレンマなんですよね」と。
何かの専門を負ってしまった人間は「個人を出しづらくなる」のは確かにあるんです。
しっかりと深く考える人ならば、より発言に関して慎重になり、当然、発信の頻度が落ちるわけです。
その一方で、深く考えず、気軽に発言する人は、発信頻度が高く、そんな人は断言する人も多いわけです。
で、そうなるとどうなるかというと、しっかりとした考え方を持っている専門家は、発言に責任を持つので発言頻度が落ち、素人のような人が気軽に、「私が〜したらこうだった」と断言することで支持が集まり、その情報が広がっちゃうこともある。
言い切っちゃうと、本当にそうであるかのように見えるんですよね。
例えばTwitterで美容系のアカウントが、「〜〜をしたら肌が白くなった」「これを飲んだら痩せました」と気軽に発言すると、それが本当のことかのように広がる可能性があるわけですよ。
こうなると、慎重な識者の発言が減り、エビデンスの低い情報が溢れてしまいかねない。
朽木さんとしては、個人の発言の自由は尊重するものの「デマは良くない」し「嘘や不正確な情報は流すべきではない」、と。
医療分野は良い傾向が生まれている!?
そういう意味で、最近医療分野のTwitterでは良い傾向になっているんです。
間違った情報などが流れた時に、SNS上のお医者さんや医療関係者が、メディアが調べる前に即検証してくれるようになってきている。
しかも、相互に監視されるのである程度は信頼性が保てるようになっている、と。
ただし、「医療情報とトレーニング情報となるとまた性質が違うので、一流アスリートの人は萎縮せず発信してもらう方が全体としてはハッピーなんじゃないか?」と、朽木さんが為末さんにアドバイスというかお願いをしていました。
報道する際、どこまで裏を取って発信するの?
ここで、為末さんから朽木さんや司会の忠鉢さんに対して質問。
「メディアって裏を取る、っていうけど100%取るって難しい。けど、他社に負けないようにスクープを先出ししたいわけで。これ、どの辺の確信度合いで発信してるんですか?」と。
これに対しては、「全て疑ってかかって調べるようにしている」「メディア的には、裏取りは100%が原則。ただし、どこを100%にするかはそのメディア次第…」という回答でした。
最終的にはデスクというか責任者の人の経験で「ここの裏が取れているなら行ける」と判断するそうです。
為末さん的には、「この判断する能力が今全員に求められているんじゃないか?が今日の答えかもしれないな、と思って質問した。」と。
これに対して朽木さんは賛同しつつも、わかっていないことに対しては、「今わかっていないので」と言うようにすべきかな、と。
更には、人は断言する言葉に頼ってしまう傾向にあるので、「自分の頭は情報を信じやすいのか、どんな癖があるかを把握しておく」のは、様々な情報から自分を守る上で大切。と話を締められていました。
質問が途切れない「質疑応答」
ここからは質疑応答。
実質45分くらいの時間が取られたのですが、これが質問が途切れないんですよ…。
そんな、盛り上がった質疑応答の一部をご紹介したいと思います。
Q.経験の差による伝わらなさの溝を埋めるには?
「経験をしないとわからないことを、経験をしていない人に伝えるにはどうしても溝ができてしまう。この溝を埋める為にはどうすれば良い?」と言う質問。
朽木さん的には、「世の中を良くしたい問題定義ならば、感情論になるのはおかしいので、大切なのは話し方・伝え方だ」と。
強い言葉や高圧的な言葉を使うのは良く無い。対等な議論をしたいのならばコミュニケーション相手として言葉を選んで使うべき、と。
為末さん的には、「期待値を下げるのが大切だ」と。
社会はもっと、カオスだよ。とみんなが認識して、期待値を下げると許容範囲が広がる可能性がある。
あとは、相手をシンプルな肩書きだけで見ない、こういう肩書きを持っているから、こういう人だ。と偏ったレッテルを貼らないようにするのも大切だ、と。
Q.自分自身を疑うってどういうこと?
先ほどの議論の中で、為末さんは「自分自身を疑う」と言う話があったが、それって具体的にどのようにすれば良いの?という質問。
これに対して為末さんは、人に突っ込まれた時や、人にコメントされてハッとした時を意識するようにしてそれを繰り返して精度を高めると良い。と。
「あの文章、あの発言は気分で言っていなかったか?」と振り返るようにしている。
あとは、自分に対して、シャーロックホームズのように推理する、冷静に自分を分析すると良いよ、と言われていました。
Q.エビデンスベースで書いた本が売れるようになる秘訣は?
エビデンスベースで書いた本が売れず、良い加減に書いた本が売れているのは残念…。エビデンスベースで書いた正しい本が売れるようになる秘訣はないでしょうか?と言う質問。
これに対して朽木さんは、「売れるまで売れば売れるようになる」と。
自分がこの本を書きました、と言い続け、自分の道(分野)で地道に活動し続ければ、注目される機会はあるので。日々の仕事を延々と続ければ良いのかな、という回答でした。
Q.理学療法士です。アスリートに信頼してもらうには?
トップアスリートはコーチのチームを組める、と言う話があったが、一般的なアスリートはそうもいかない。そういうアスリートは何を信じれば良いのか。(自分は理学療法士だが)そう言う人にどう伝えれば信用してもらえるようになるか、と言う質問。
為末さんは、アスリートとして正しい情報を判断する際、「頭」と「体」のそれぞれを使って判断すべきだ、と。
頭は、データとかエビデンス、誰がやってるのか、実際やった人はどうなったのか、を見て判断していく世界。
体で感じる方は、「この一歩、この動き、良いかも」と感じるときはある。いわゆる「直感で良いと感じる」時。
直感というのも大切なので、頭と体の両方を回していくべき。
信用、に関しては選手は「この人は自分を使って名声をあげようとしているな」というのは如実に伝わるので、パートナー(伴走者)に徹すると、選手にも伝わりやすいし信じてもらえるようになると思う、と。
Q.伝える際の専門用語の壁を取り壊すには?
伝える際の専門用語の壁を取り壊すには?という質問も。
これに対して為末さんは、わかりやすいメタファーや、「まるで、これとこれの関係のように」などと例え話をうまく使うようにしているそうです。
先ほどの、シャーロックホームズの話(冷静に自分を見つめる)や、ウサイン・ボルトや室伏選手の例もそうですよね。
Q.友人たちにアドバイスする際も断言する?
断言すると強い力になるけど使うのは難しい、という話だったが、仮に友人たちにアドバイスする際も断言してますか?という質問。
朽木さんは、普段から断言しないようにしている、と。
医者も「絶対治ります」とは言えないので。わからなかったらその場では言わない「ちょっと待って」と言っている。
為末さん的には、一度しか話せない相手には慎重に発言するが、沢山話せる人には、自分の知識をつぶつぶ(バブル)で伝えるようにしているそうです。
つまり、直接伝えないようにして、その人なりの受け取り方をしてもらえるようにしているんですって。
Q.人との関係性を大事にしているように感じたが日々心がけていることは?
お二人とも、人との関係性を大事にしているように感じたが日々心がけていることは?という質問。
為末さんは、「影響力に関わる本は多く出ているが、その中の1つに「上手に権威を使うと相手に伝わる」というのがあるんです。
「〜〜さんが良いって言ってたよ」とか。
そういう意味では、「自分はその力を乱暴に使っていないか、を意識している」。そういう言葉は、人をコントロールできてしまうので、そういう世界からはなるべく遠ざかるようにしているそうです。
朽木さんは、イービル(邪悪な手法)をなるべく選ばないようにしている、と。
また、何においても情報発信をする上では「この情報は正しいのか」「これを言うと傷つく人がいないか」を常に考えるようにしているそうです。
2時間経とうとしているのに、まだ質問が止まらない中、最後の質問がこちら。
Q.子供に対して「自分で考えなさい」はいつから言えば良い?
子供に対して「自分で考えなさい」はいつから言えば良い?という質問。
これに対して、朽木さんは「いつまでたっても情報が無ければ、考えることは難しいので、その分野に関してある程度自分の頭に溜まったとするまで、待っても良いかも。」と。
ある程度わかってきたな、と感じた部分で考えるように促すのが良いわけで、基本は「それが常に正しいとは限らない」ということを伝えれば良いのかな、と。
為末さんも、ちょうど3歳のお子さんがいらっしゃるのですが、ここはよく悩むそうです。
子育てをする中で、大切にしていることは、子供が見つけた気づきに対して、一緒に驚くようにしているそうです。
「なるほど。こうなってるんだね!」と一緒に驚いてあげることで、子供に「自分がこの人に教えた」と感じさせるのが大切と。
まだまだ質問したい状態でしたが、ここで時間切れとなり大きな拍手の中、イベントが終了。終わった後も周りから、今日のイベントの満足度の高さが伝わってきました。
わんぱくブロガー的まとめ
もともと、巷に溢れはじめる信頼度の低い医療情報への警鐘から本を書いた朽木さんと、走る哲学者と呼ばれる為末さんの2人の話を生で聴き、一緒に考えることができる、とても貴重なイベント。
いやもう、お二人の議論の内容はもちろん、参加者からの質問もレベルが高く、「情報の正しい見極め方」についてみんなで議論して大いに盛り上がりました。
情報発信者としても、陸上経験者としても、親としても考えさせられる内容でした。
イベント参加前は、サクッと当日か翌日に軽い記事にしようと思っていたのに、内容が濃すぎて、結局20時間以上かけてしまいました…。
為末さん×朽木さんのイベント内容をまとめようとしているけど、内容が深すぎ、多すぎてすぐにまとめきれない…!
なるべく早くブログで公開したいけど、これは時間かけてでも時間かけてまとめよう…!それだけ価値のあるイベントだったので。#タメトーク— むねさだ よしろう@わんぱくブロガー (@mu_ne3) June 13, 2018
その分、永久保存版なくらい素敵なイベントレポートが出来上がったと思います(笑)。
さらに理解を深めたい、という方は二人の著書を読んでみてください!